多くの会社が、経営理念・クレドをHPや会社案内等の外部に触れる場所に記載してあるが、理念が社長、役員、社員の心に浸透し、全ての行動指針や規範とはなっていない場合が散見される。
企業とは、自社のサービスの価値が顧客に認められ、最終的に利益を出すことで存続しているが、顧客から見ても、その会社の経営理念がすばらしいから商品やサービスを購入しているかというと、そうではない。自身がひいきにしている会社の経営理念を知っている顧客のほうが珍しいだろう。そう考えると、経営理念と業績は連動しないのではないか?顧客はあくまでその商品・サービスの価値に対価を払うのであって、直接的な因果関係がないのであれば、わざわざ理念を作らなくてもいいのではないかとさえ思えてくる。
しかし、本当にそうなのか?経営者が会社を設立する際、なぜその会社を作ったのかという理由がある。それは当然ながら、こうありたいという状態から始まっているだろう。こういうサービスをやれば顧客に受け入れられる、次にはこういうサービスをやってもっと会社を大きくして・・・という具合に、未来の予見から始まっているのである。
会社は、取引先、顧客、従業員、株主等様々なステークホルダーとの関係性で成り立っているため、その関わり方で他人から判断され、顧客からの支持を得られるかどうかで会社の存続が決まる。その関わり方の最終意思決定者は社長であり、その会社の社長の価値観が大きく業績に関わるということになるのである。
取引先や下請けをパートナーとして扱う会社とそうでない会社は、先方の自社への関わり方はどうなるか。単なる下請けとして扱う会社は、将来、何か困ったことがあっても協力を得ることができなくなるだろう。
儲かれば何でもいいと社長が言って、従来と全く異なるサービスをいきなり始めたらどうだろう。社員は不満と疲弊のなかでその会社を去っていくだろう。そのような会社の評判は決して良いものにはならない。
全てはその会社を構成する方々との関係性で成り立っているのである。様々な問題に直面した際、どういう価値観で対応するのか、という原則がなければ、その関係性に影響を及ぼし、結局顧客から見放され、存続すら危ぶまれるという事態に陥ることさえある。
マズローの欲求5段階説がある。人間も生理的な欲求や社会的欲求を満たした最終形は、自己実現という考え方である。法人も最初は生き延びるためだけに存在している。しかし、どんどんそのステージが上がっていくと、その存在価値を考えることになる。
法人=法の人とは上手く言ったものだと感心してしまう。人は、価値観によって行動し、その価値観が人に受け入れられれば、感謝され、人が集まり、より大きな仕事が出来る。行動が間違っていれば、その報いを受け、時には罪になり、反省し、考え方を改める。法人も、会社の行動が顧客に受け入れられれば、大きな利益となって、従業員や株主、取引先も喜び、より大きなステージへと飛躍する。逆に行動が間違っていれば、従業員は離れ、顧客が離れ、取引先も離れ、株主も離れる。
全ては、価値観から始まっており、それが具体的行動になって現れた結果である。
つまり、会社は、こうありたいというビジョンがあり、価値観(理念)が行動原則として表れ、それが具体的戦略になり、方法になる。それが真実の姿である。だから常にその価値観を様々な関係性の中で確認し、最終的な方法が間違っていないかを検証していくのである。
これは自然科学の法則のような、絶対的な法則とは違う。どう考えるかは経営者次第なのである。
※経営理念とは・・・
経営理念は企業理念をベースに時代において変わっていく、経営の羅針盤である、と捉えています。(ここでは、企業理念とは創業者が策定し、どんな時代になっても変わらない、つまり不変的な企業の考え方とする)
※クレドとは・・・
「信条」を意味するラテン語で、「企業の信条や行動指針を簡潔に記したもの」を指す。最近導入企業が増えてきており、従業員の自主的な行動を促すためのツールとして利用されている。リッツカールトンのクレドカードは有名である。